昔の竹編みの乳母車に手をかけ、姉は微笑んでいた。はにかみながら笑っている。乳母車の中には私が乗っている。まだ、毛も生え揃ってない、私が乗っている。
石垣と池のある後に松が移植される辺りだ。
保育園の時、台風早帰。自営業の両親は、むかえに来られなかった。配達に忙しかっただろう?傘をきのこにしながら、二人で泣きながら竹藪したの道通って帰った。
今すぐ、思い出す写真だ。思えば、喧嘩になると、なにかしらおねいちゃんなんだからと、不利を被っていた。逆に私の言い分が通ることが多かった。階段から突き落としたり、唇のしたの傷跡はそのせいらしい。腕を捻って脱臼させたり。その治療をしてくれたのが、知る人ぞ知る古沢かんべい、柔術九段。三船十段と天覧試合をしたと言われる人だった。
M小で、姉は音楽が好きだったので、姉は、合唱コンクールに常連で選ばれていた。リハーサルは私など下級生の前で披露された。歌詞の一部は、良く、姉が歌っていたので覚えている。かいだ
「馬車には白いフランス人が載っていて、白いパイプの煙をプカプカ上げたがー上げたがー」「雪ばんば、雪ばんば、竹藪ウグイス震えた、お寺のおしょさんも震えた、北風小僧が言ったとさ、もうすぐもうすぐ春が、春ーが、北風おばさん?行っとくれ!」合奏では組曲アルルの女が演奏された。姉はアコーディオンかピアニカを奏でていた気がする。
To be continued
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