またもや、からだがだるく、寝坊。
秋眠朝を覚えず快晴の心知らずやヨウも知らずや
2015年9月30日水曜日
2015年9月29日火曜日
2015年9月28日月曜日
2015年9月25日金曜日
2015年9月24日木曜日
2015年9月23日水曜日
2015年9月21日月曜日
終の女
終の住みかと言う言葉があるが、終の女という言葉はあるのだろうか?好きではないさだまさし唄に、「洗濯物の万国旗」「あなたの最後の女」って出てくる唄、「※※※だらけのアパルトマン」とか・・・サンデーパークだったか?そこに出てくる「あなたの最後の女」❗が終の女。やはり、いるのだろうか?自分に合う、合わない。を問わず、最後まで暮らし、 水入らずの看取ってくれる女。
もし、あるならば欲しいよね。わがままでしょうか?
2015年9月19日土曜日
土曜日の昼特特別版
10:35分の電車に乗り遅れて、11:05の電車普通グリーン車へ。バス時刻を土、日休日であることを忘れていた。久しぶりにT君と飲む。今では第一の親友となっている。中学時代の剣道部の仲間。私は副部長、だったが、腕は彼が上のような気がする。高校生、大学は違ったが、職業が似かよっていてよく、電話で話したり、東京出張の折り飲んだ。一部の同級会***会の会員でもある。仕事、**病的な仲間で何でも相談できる。楽しみだ。
me too
土曜日の朝2015特々別版
2015年9月16日水曜日
水曜帯の深夜午前1時
ちょっと走り過ぎたかしら
風が吹いいていたわ
動いていいる
たった今、恋の予感
たった今病気の予感…てっわけではっさぁんは病院めぐりをしているとさ
それは草津か、岬めぐりの間違いっじゃねーのかい熊さん
なんともお偉い先生のとこへ行っているとさ
それじゃ東大か・・・ならわかるが
いやー何でも、あすは山本先生だそうだ
コータローかやっぱり
いやそれが神経性禿ができた先生で俳優もやっていたそうな
一太君じゃなくて、太郎君。一太君もタレント活動してたけどね
なかなかするどいね、
禿薬の効き目かい?
それもそうだが、切り口だよ。孤軍奮闘九州原発のミサイル攻撃のやり取りはすごかった
モナに研いでもらったか?まさか・・・寒気がした
耕史もあやかりたいね
真希が磨いてくれるから。禿天?だよね
2015年9月12日土曜日
土曜日の夜特特別2015
今回の台風禍の被災者にはこころからお見舞い申し上げます.
今回の報道では、「想定外」という言葉は使われなかったように思う。
他人のせいにしようと極力控えたのだろう。しかし、私は、人災に思えて仕方ない。利根川には、今回決壊した鬼怒川、30年前決壊した小貝川など、関東一えんの一級河川がすべて合流する。鬼怒川の堤防の問題だけでは済まされない!4メートルの堤防下の低地、鬼怒川は天井川と言ってもいい。過信してもらっているのですか、住み、耕作している。また。河川には、上流からの石、れきが、堆積している。また、公園を作り、いざというときの川底を浅くしている。
ここ、二日筋痛がひどく、病院以外はほとんど寝ていたが東北の前田さん、伊藤さんが心配だ。前田さんのメールはダエモンが帰ってきた。無事を祈る。
2015年9月11日金曜日
金曜日の夜2015*特特別
体調不調で、午後帰る。株価チェックもままならず、だるくて眠くて、後場が閉まるまではと、床に着くも、目を覚ましたのは終了後。再度寝て、夕食を食べて寝ようとしている。訳がわからない。自分の体。
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子槻
となってしまうのか・・・。
2015年9月10日木曜日
木曜日の寝際
今回の台風禍
洋子も大変だったろう。田原も大変な苦労の最中だろう。慎んでお見舞い申し上げます。那珂川の決壊は避けられそうなので、こちらの被害はなかったが、左半身不自由な母が今日は施設でなく、在宅の日だったので、心配で電話をかけつづけた。
私の左膝は、ロック仕掛かっていてやばい。息苦しい!
まるで死神、シューベルトの魔王にとりつかれた!
三つの戸は方位がよくない?!
あの3人はどうしても許せん!悪い人物に会ってしまった。公私に!
洋子よ!大変だろうがちばれ!田原も!
私事ながら金を親にせびるのはよくない!
人は良く、見ている。西明寺の閻魔大王も!
よく知るべし!
2015年9月9日水曜日
水曜日の朝2015
台風で風が強い。次男など飛ばされそうではないか?一列の流れ星。
台風に弱き流星挑みゆく明日の希望見て強く飛べよと
今朝は、東北のmy loverの一人がずっと出てきた。あのなまりがいい
2015年9月8日火曜日
月曜日の深夜2015
二人して川辺を歩く言葉無く合格祈願尾島亡き後、
前向けと言っている涙文今なお言われ夢の中なり
少しほどやさしき笑顔くれまいかサポート無くてかなぜか悲し
いや悲し終焉待つかわが身にも想像せずばおらぬ毎日
毒飲みし君の死に顔今もなお母の棺とも同時ゆく列
あれよとよリタイア迫り生業を立てるすべを探すみじめさ
2015年9月7日月曜日
2015年9月6日日曜日
2015年9月1日火曜日
回顧 姉
昔の竹編みの乳母車に手をかけ、姉は微笑んでいた。はにかみながら笑っている。乳母車の中には私が乗っている。まだ、毛も生え揃ってない、私が乗っている。
石垣と池のある後に松が移植される辺りだ。
保育園の時、台風早帰。自営業の両親は、むかえに来られなかった。配達に忙しかっただろう?傘をきのこにしながら、二人で泣きながら竹藪したの道通って帰った。
今すぐ、思い出す写真だ。思えば、喧嘩になると、なにかしらおねいちゃんなんだからと、不利を被っていた。逆に私の言い分が通ることが多かった。階段から突き落としたり、唇のしたの傷跡はそのせいらしい。腕を捻って脱臼させたり。その治療をしてくれたのが、知る人ぞ知る古沢かんべい、柔術九段。三船十段と天覧試合をしたと言われる人だった。
M小で、姉は音楽が好きだったので、姉は、合唱コンクールに常連で選ばれていた。リハーサルは私など下級生の前で披露された。歌詞の一部は、良く、姉が歌っていたので覚えている。かいだ
「馬車には白いフランス人が載っていて、白いパイプの煙をプカプカ上げたがー上げたがー」「雪ばんば、雪ばんば、竹藪ウグイス震えた、お寺のおしょさんも震えた、北風小僧が言ったとさ、もうすぐもうすぐ春が、春ーが、北風おばさん?行っとくれ!」合奏では組曲アルルの女が演奏された。姉はアコーディオンかピアニカを奏でていた気がする。
To be continued