忘れていけないもの
昨日、長男と少し話したが、戦争が終わって、アメリカが進駐して世の中は良くなった。一方的には言えるだろう。確かに、格段の差で、以前と比べればだが、民衆化は進んだ。
敗戦したことによって、一億層玉砕も免れた。平成天皇は、ベリリュー島まで言って玉砕者を鎮魂している。
では、戦争を始めなければ多くの市民を巻き添えにした、ことはなかったろう。ポツダム宣言後もソ連によって、占守島など、北方の死までの悲劇はなかったはずだ。
涙なしには2つ見れないものがある。
一つは戦後焼け跡派野坂昭如氏の「火垂るの墓」
もう一つが、戦後、進駐してきた米軍トトもlにきたカメラマンが撮った、名前は忘れたは、「焼き場の順番を待つ少年」NHKでも昔やったので有名なので知っている人が多いと思う。少年の背中の妹は既に絶命している。
教育は絶大である。」右も、左も、上下にも変わる。教育者よ、教育者たれ!私はその自信がなかったから、教員にはならなかった。でもしか先生では困る。
空蝉の悲しからんや七日ほど生きよと地中で育てしものを
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