自己紹介

そぞろ書きしていますので、自己中ブログです。

2015年2月27日金曜日

音信不通の君へNO.5寝床から

S.優子
田村高校出身で、ソフトボ-ルをやっていた君は女性にしては背が高かった。
一つ年上で、居酒屋で酔ってしまった時には、ひざまくらをしてくれた。フレグランスの香りが、淡く漂っていた。

彼女が就職した時に、パブで一度おごってもらった。意外と私の二の腕が細いのに驚いていいた。もっと、会計の時に顔色が変わり、焦っている彼女を見た。おごってくれるといったのだから、口を出すわけにはいかなかった。

学生時代と同じ寮に入っていた。そこまで送っていった。それが、別れとなった。田村町、看護師、いったいどんな生活をしているのだろうか?安否は?誰か知っている人いたら教えてくれないか!震災前は、NO.4のナースステーションの看護師は元気だといっていたが・・・。結婚したのは優子さんかもしれいない。記憶があいまいだ。

私が就職して盛岡にいるとき、うちの実家に2度女性のSさんから電話があった、と告げられた。母は 当時流行っていた、勧誘英会話商法と思い、冷たくあしらったらしい。優子さんだったら申し訳ない。

ああどうしているか、本当に知っている人いたら教えてほしい。パブの借りも返したい。清栄さんといい優子さんといい、医大の看護師だがらさぞ苦労したししているのではないか・・・

例のナーススーテションの老看護師が気さくに教えてくれないか。

2015年2月26日木曜日

音信不通の君へNO.4

K.清栄
全く、純粋だった。感じのいい子だと思った。事実そうだった。デート、電話は何度かした。雪降りで、路面が者ベット上で、赤い長靴をはいていたのを覚えている。

 誕生日の時だったか、家に来てくれた。看護学生だった彼女は、煮沸消毒のことを教えてくれた。料理はオイルサーディンを使った結構手の込んだ料理だった。?間違ているかもしれいない。
 
帰れり際に、玄関で、キスをしようとした。結構かたくなに拒まれた・・・。今は、男をプライドを砕かれた・・・。と言い訳しておく。
 そのとき気は、無言で私鉄の駅まで送っていった。

 後日また彼女が料理を作りに来てくれた。「この部屋に来ると落ち着く」と言っていたが、そっけない返事をしたような気がする。県庁上級職を目指していた。私の県は、他の件と比べ立て、明らかに枠が少なく、10人の枠だった。壁には目指せ県庁とか、張り紙をした。「来ちゃ悪いのかなぁ・・・」と彼女は言った。食事を作ってもらい、ハンバーグステーキだったか・・・。
 
 今度は玄関で何にもしなかった。(当時、同級生の本女性に気が向いていた。結局私は降られるのだが)。彼女は、かなり落胆した重い足どりで、駅まで一緒に行った。その姿が、今も目に焼き付いている。

 彼女は覚悟の上で来たんだ・・・でも私は、その後彼女に電話しようとしなかった。避けていた。

今思えばとんでもなく悪いことをした。プラトニックながら大きな傷を負わせてしまった。数少ない親友との間に第一の亀裂が入ってしまった。

でも、30歳過ぎの時酔った勢いで、医大のナースステーションに夜電話していた。電話に出た看護師は、事情を話してみると、よく話してくれる人で、この前結婚した。と教えてくれた。

安心したような、惜しいような複雑な気持ちだった。でも私でなくてよかったかもしれない。病床にいがちなで、幸福な人生を送れたかわからない・・・幸せになってほしい、と願うしかない。医師とでもいっしょになったかなぁ。

このシリーズを書いている時はその時の気持ちになりきっているから、気分が重い。涙が出る。書き終えるとしばらく、寝入ってしまう。これも自己満足かもしれないが。

2015年2月24日火曜日

音信不通の君へNO.3 寝床から

k、克己
小悪魔的で、都合のいい時だけ利用だれていたような気がする。しかし、何気ない話が好きだった。短卒で同学年だったから、途中からはOLで、多少おごって売れた風邪でひどいときい時、突然電話をかけてきて、現れてきた。抱き寄せようとすると、「好きな人がいるの…」家まで送っていった。見舞い?
 今で遊びに行って、街で飲もうと出かけ始めた。途中すらっとした医大生のの雰囲気の男出会うとすぐに、「ごめん」と言って家に戻っていった。私はつれなく、家に戻った。
 勤めてからも、電話がかかってきて、今度友達と遊びに行きこうと思うの。あいにく私は、実家の手伝いが入っていいたので断った。
仙台の研修の後、日中、歩道で、茶道部だった。W、弘美さん(どうしてるかなぁ)にあった。ちょっとおちょを飲み、克己にもあった。お大通りは狭い。会う約束をして飲んだ。ホテルで飲みすぎて不能となっていた私を見て、「別れましょう」と切り出してきてた、付き合っているほどの付き合いをしていると思ってなかった(遊ばれていると思っていた)私は、戸惑ったが。受け入れた。コートのみ羽織ってタクシー乗り場まで送っていった。一度、じかに電話したが、お母さんに「嫁ぎました」と言われて絶句した。
実際は純朴正直な秋田女だったのだと思う。

2015年2月20日金曜日

オシドリよ

君は実は浮気性だった・・・

次々に相手を変えていゆく・・・

だから「おしどり**」なんて言うのは芸能雑誌が作ったモノ

でも君は過去の相手のことを覚えているのかい?

ただ、子孫を残すための交尾のために次々と相手をを変えて、

前の相手のことなど全く忘れてしまうのかい?

寂しいなぁ・・・

人間でよかった・・・

音信不通の君へNO.2

J.直美へ

札幌時代はずいぶんお世話になったね。

今でも感謝している。

最期のころは、本当は別れたかったのだろう?

写真の顔にそう書いてある。

まあいいや・・・

でも、君がいなかかったら、入院していた私は多分死んでいたかもしれない。

手袋今でも使っているよ。

それから、オフコースの「僕の贈り物の」のアルバムは君が持っていってしまった。

差し上げます。

返してもらう手段もないけどね。

今は幸せに暮らしているのだと思う。

千歳に行く機会は何度かあったが

連絡先がわからなくて…

もう一度二人であのクリスマスパーティーをしたいね。

小樽もサロマ湖もたのしかった・・・

「絶対御恩は忘れない」と言ったの覚えているかい?

本当だよ。

まだメガネかけている?

長淵はまだ好きかい?

「タケ」はもういないかしら・・・

お父さんの言う通り一緒にならなくてよかったかな・・・

女の子ができなくてよかったかな・・・

ああ・・・純恋

2015年2月17日火曜日

火曜日の朝2015特別版 音信不通の君へNO.1

ひとり介護のあと自宅療養しているのは寂しい。
                                洋子へ
〇〇洋子はもう存在しないんだね…
△△洋子へアウフヘーベンしたんだね…
でも、本質は変わっていなんだ。
星の王子さまは星においてきた
とげのあるバラに会えたのかなぁ
ちゃんと水をやっ他かなぁ
何も王子さまは、星なんか恋しくなかっ
たのだよね、きっと。
バラがいたからなんだよね
8年位前、くも膜下出血で倒れ、日赤に4か月入院した時、あなたにそっくりな人がやはり看護にきてました。時々、そのかたの旦那様❓のような人も来ていました。もしかしたら、お姉さんかなぁ、かじら…。
    

2015年2月13日金曜日

金曜日の朝2015

忙しい朝。余裕がほしいもの。

妻掻き立てトイレも中途便意よぞ会社に起きないように

2015年2月12日木曜日

木曜日の朝2015

久々の「朝」すがしくもあり、面倒くさい。

病人?は床に伏せるか病院へ春も近くなり落ち着いてられぬ

2015年2月4日水曜日

水曜日の朝2015特別版

昨晩は逆流性食道炎でひどかった。食道はヒリヒリするし、寝付けないし大変でした。

病状を案ずる人なく不安な夜いっそこの世とおさらばしたき

2015年2月3日火曜日

火曜日の朝2015

Twei see tag
まぶしい朝陽。苦しかった夜中
心不全かと思った。

いつまでも病妄想抜けきれず手術日控え胸に手をやる

2015年2月2日月曜日

月曜日の朝2015

スマホを新しくした。気分一新久々の出勤。身体はだるい。さむさがしみる。

落葉も多分寒かろ栄養なし自分も寒き道へ行かんとす